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【額に表記された

 熊野大権現の烏文字】

カラスは何羽いるでしょうか。「3羽」という人もあれば「20羽」という人もいるでしょう。全てにおいて いずれも正しく、物事を色々な視点から見なければならないという教えの一説が込められています。

当社は、1160年(永暦(エイリャク)元年)、後白河法皇が熊野権現を禅林寺(永観堂)の守護神として勧請されました。

江戸時代、祈願所とされた聖護院門跡院家「正東山若王子」の鎮守であったが、明治時代の神仏分離により 当社のみが今日に残りました。


神々の聖域 
熊野参詣
京都の起点


はるばる遠い紀州への参詣(サンケイ) 熊野詣にあたり、修験者は若王子神社(御滝)で身を浄めてから出発されました。

かつて極楽浄土と考えられ崇拝を集めた熊野参詣、【蟻の熊野詣】と形容されるほど法王・上皇から 一般庶民までが性別・身分を問わずめざしました。


法皇・上皇による熊野御幸

院中から出発された熊野御幸はまず若王子社で身を浄め、新熊野社で第一回の休息をとり、伏見から淀川を舟で下り 紀伊路へと向かわれました。

法王・上皇による熊野御幸は、

907年(延喜7年)から1281年(弘安4年)の亀山上皇まで「100回以上」にのぼったといわれ、その中でも後白河法皇は三十四度されています。



※熊野参詣道の起点※

熊野参詣道の起点は、全国からの不特定多数の参詣者が本宮を目指したので断定することはできませんが、人口の多い都から多数の参詣者が出立されたことが推測され 広域路を固定化する意味では、古都京都が参詣道の起点と考えることもできます。


熊野(クマノ)とは・・・

隠国(こもりく)から転じた名称であり、先祖の霊がこもる黄泉の国(よみのくに)と考えられていた

(黄泉の国=人の死後魂が行き,死者が生活するとされるところ)

勧請(カンジョウ)とは・・・

神仏の分身・分霊を他の地に移してまつること

権現(ゴンゲン)とは・・・

仏・菩薩が人々を救うため、仮の姿をとって現れた日本の神を指す

若王子(ニャクオウジ)とは・・・

熊野の新宮の意味を持った言葉であり、熊野権現の若宮とも言われ、熊野権現の御子神(ミコガミ)を祀る

また天照大神の別号「若一王子」にちなんでいる


後白河法皇(ゴシラカワ ホウオウ)

後白河天皇は、在位3年足らずで譲位し、保元3年(1158年)には上皇、嘉応元年(1169年)には出家して法皇となりました。

千手滝 - センジュダキ (一の滝)